役割を終え、撤去が決定している放送大学学園花見川無線中継所。役割としてはその名の通り、放送大学と東京タワーを「中継」することだった訳ですが、Google Earthで放送大学、中継所、そして東京タワー方面の位置関係を立体的に確認してみると非常に興味深いです。
放送大学が授業開始していた当初は幕張新都心の高層ビル群が開発される前でしたが、平成に入り幕張新都心にて大規模な開発が始まる時期に、中継所が設置されたようです。ご覧の通り、放送大学から東京タワー方面は幕張新都心の高層ビル群に阻まれております。
・1989年(平成元年)
放送大学学園『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
幕張地区の高層ビル林立のため、本部放送センターから東京タワーへ向けたSTL設備中継タワーを本部付近に増設。
Google Earthの遠景のCG描写の問題で少し確認しにくいですが、奥に中継所が見えます。あいだを幕張ベイタウンを通りますが、実に都合の良いように遮るものはありません。なお、中継所ができた平成元年より後に幕張ベイタウンの開発が進みました。
幕張ベイタウンは、中心部が低層街区の複数の棟のパティオス、外周部を中・高層棟の街区で構成された都市計画を基に開発が進みましたが、もしかしたら花見川無線中継所の存在が、幕張ベイタウンの当初の都市計画に大きく影響を与えていたのかもしれません。
すなわち、放送大学と中継所の間の電波の伝播を考慮して、低層街区、中高層街区の配置を含め、幕張ベイタウンの都市計画マスタープランが設計された、という説もあり得るのでは。逆説的に、この中継所があったからこそ、今の形の幕張ベイタウンがあるのではないかと。(あくまでも説です)
そのように考えると、数多の幕張の発展を見守ってきたこの花見川無線中継所がなくなること、少し残念に思えます。跡地は永く愛されるように活用されてほしいです。
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